運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
114件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2014-03-26 第186回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第4号

東日本大震災以前において戸建て住宅の宅地が液状化被害を受けた例といたしましては、昭和五十八年に発生した日本海中部地震が挙げられます。このときには、秋田県、青森県の日本海沿岸に分布する砂丘地帯液状化現象発生をいたしまして、大学による調査によりますと、二県の六市町村で被害発生したというふうに報告を受けております。

望月明彦

2013-12-04 第185回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第2号

そういった意味で、特に日本海側太平洋側は顕著だと思うんですが、お互いバックアップ機能をしっかりと持って、いつまた日本海側日本海中部地震のような地震が起こるか分からない、そしてまた、いつ太平洋側で今回のような地震が起こるか分からない、そういう状況の中で、何があってもお互いがバックアップできるような機能をしっかり持つということが重要だと思っております。  

中泉松司

2013-11-07 第185回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第4号

過去三十年間の地震だけ見ても、一九八三年、日本海中部地震がありました。一九八四年、長野県西部地震。それから、一九九三年には北海道南西沖地震。九五年は、御承知のとおり、阪神・淡路。そして、二〇〇四年には新潟中越地震。そして、三・一一の前、二〇〇八年には岩手・宮城内陸地震ということで、この三十年間で七つの大きな地震発生をしております。  

古屋圭司

2013-05-23 第183回国会 参議院 国土交通委員会 第5号

八三年の日本海中部地震これは秋田沖ということになりますけれども、ここの、マグニチュード七・七だったんですが、遡上ということからいきますと十四メーターと。これ、十四メートルは、こう上がって、十四メーター上がって遡上したところが海面のTPからどれだけかということになるんですが、ここは、能代港では約二メーター津波が出ております。  

太田昭宏

2013-05-10 第183回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第5号

私の方は、死者数が少なかったことについて、地元の人たちや、あとは案内していただいた青森県庁防災課方々にもお話をお聞きしたんですけれども、口をそろえておっしゃられるのは、青森県は、昭和三十五年のチリ地震、その後の十勝沖地震、それから日本海中部地震こういったところで人的被害が多く出た時期があって、チリ地震はちょっと少なくて三名だったんですけれども、その後、十勝沖地震が大きかったということでございます

今村洋史

2011-09-29 第178回国会 参議院 予算委員会 第3号

八三年には日本海中部地震最大十六メートル、九三年には北海道南西沖地震最大三十一メートルの津波日本海沿岸津波の特徴は三つありまして、同じマグニチュードでも太平洋沿岸に比べて高さが二倍になる可能性がある。これは海底断層が急だからであります。二点目は、津波が起きる場所が海岸から近いために津波が到来する時間が五分から十分、つまり避難する時間的余裕がないということ。

風間直樹

2010-03-11 第174回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第2号

専門家の方のお話によりますと、一メートル未満の津波でも人が流される、実際に日本海中部地震では七十センチの津波で人命が失われた、このように聞いております。  今回の津波では、予想に比べて津波の高さが低かったこともあり、この程度なら大丈夫、そういう認識が生まれはしないかと危惧をいたしております。したがって、その後のアフターケア、教育だとか、そういう点についても十分配慮していかなければならないなと。  

重野安正

2008-10-01 第170回国会 衆議院 本会議 第3号

この年は、三年続いた戦後最長の不況からやっと脱しつつありましたが、日本海中部地震や三宅島噴火、記録的低温北海道は四年続きの凶作、世界的にも異常気象の年でした。流行語は、「おじさんは怒っているんだぞ」「やるっきゃない」。   現在、我が国景気低迷の真只中、地球温暖化など、「イライラ、モヤモヤ」状態。何か私の政治スタートの年と似ている気がしてなりません。

河野洋平

2008-06-11 第169回国会 参議院 災害対策特別委員会 第4号

私は秋田県の出身でございまして、昭和五十八年の五月二十六日、マグニチュード七・七という日本海中部地震これは、当時テレビ局の人間でございましたのでマスコミ人として体験をさせていただき、取材それからレポーターとして被災地を本当につぶさに見て回って、悲惨な状況をかなり、多くの死者皆さん、特に小学生の悲惨な死も見せていただきました。

鈴木陽悦

2007-10-31 第168回国会 参議院 災害対策特別委員会 第3号

私も日本海中部地震の、昭和五十八年の実際に体験した人間でございますので、災害時の緊急態勢、この必要性というのは非常に痛感しております。また委員会の方で質問させていただく機会が与えられればと思っております。  この後は同僚の風間議員に質問を譲りたいと思います。ありがとうございました。

鈴木陽悦

2004-11-02 第161回国会 参議院 経済産業委員会 第2号

秋田出身の私は、今から二十一年前の五月なんですが、マグニチュード七・七という日本海中部地震を経験しておりまして、強い揺れの恐怖と自然災害の恐ろしさ、嫌というほど思い知らされました。被災者皆さんの不自由な生活、一日も早く回復されますよう願うものであります。  また、民間人香田証生さんが御家族の皆さんらの願いもむなしくイラクで殺害されてしまいました。心よりお悔やみ申し上げます。  

鈴木陽悦

1997-05-28 第140回国会 衆議院 運輸委員会 第17号

また、昭和五十八年には日本海中部地震というのがあって、秋田県だったと思うんですが、海岸に学童が、何か遊びか研修かで行っていた、これも、うっかりしていて被害が出てしまったのですね、津波が速くて。  そんなこともあったし、それから十勝沖地震では、青森県の八戸港の港の中で遊んでいた方々が、これまた津波で持っていかれた。

坂本剛二

1996-02-22 第136回国会 参議院 運輸委員会 第3号

もう一つ御指摘をいただきました耐震強化岸壁のことでございますが、昭和五十八年の日本海中部地震におきまして、規模は大変小そうございますが、秋田港の施設がやはり壊滅的な被害を受け、近隣地域に大変大きな影響を与えてしまったという反省にかんがみまして、昭和六十年から全国主要港湾において通常の想定されている地震よりも巨大な地震が襲っても生き残れるバースというのをある一定の割合でつくってまいりました。

栢原英郎